レッスン16

レッスン16

レッスンの前半では、ラバシュの記事「友愛 1」を学びます。レッスンの後半では、バール・ハスラムの著書『十個のセフィロトの研究』に基づいて、カバラの用語を引き続き探求し、「欲求の四つのベヒノット(段階)」の概念をさらに明確にしていきま

レッスンの内容
教材

第1部 ラバシュ「友愛」

第2部  カバラの知恵の序文 項目15‐16(英語版)

 

(編集中)

15)このようにして、第一制約の後、ケドゥシャ(神聖)のパルツフィムにおいて、第四段階に代わる新しい器が作られました。これらは、スクリーンへの打撃の結合により生じた反射光でできています。

実際、この反射光がどのようにして受け取るための器になったのでしょうか。私たちはそれを理解する必要があります。なぜなら、反射光はもともと受け取りを拒否された光だったからです。つまり、反射光本来の性質と逆の役割を果たしていることになります。

ここで、生活の中の例え話で説明しましょう。人は本質からして、与えることを重要なこととして好み、友人から受け取ることを軽蔑し、嫌悪します。したがって、ある人が友人の家を訪れた際に食事に誘われると、たとえどんなに空腹であったとしても遠慮することでしょう。友人から贈り物を受け取ることは、自分にとって屈辱的だからです。

しかし、友人がぜひにと誘い続け、食事をいただくことが友人に好意を差し出すことになるとわかると、食事に同意します。もう自分が贈り物を受け取る立場、友人が与える立場とは感じていないからです。それどころか、自分が与える立場で、友人から受け取ることで、友人に良いことをしているように感じています。

このように、空腹や食欲が食事のための受け取りの器であると、友人の食事の招待を受けたいほどの空腹感と食欲があったとしても、恥を感じてしまうために一口も味わうことができません。しかし、友人が何度もぜひにと誘い、それを遠慮するというやりとりの中で、食べるための新たな器が形成され始めました。友人のぜひにという力と自分のお断りの力が積み重なり、最終的に十分な量に達することで、受け取るという行為が与えるという行為のへと転じたのです。

最終的に、食べることで友人に大きな恩恵をもたらし、満足させると感じるとき、その友人の食事を受け取るための新しい受け取りの器が彼の中に生まれます。今やその食事を受け取る器は、実際の受け取りの器である空腹や食欲ではなく、拒絶の力が本質的な器と見なされます。

16)二人の友人の比喩から、打撃による結合と、それにより上昇した反射光がどのようにして第四段階の代わりとなる上層の光を受け取るための新しい器となったかが理解できます。上の光がスクリーンを打ち、第四段階に広がろうとする様子は、食事を求めて懇願する友人に例えることができます。つまり、友人が食事を受け取ってくれることを望むように、上層の光も受け取り手に広がりたいと願っているのです。一方、光を打ち、反射するスクリーンは、友人の勧めを拒む人のように、贈り物を受け取ることを拒否する姿勢に似ています。

ここで、拒否と反射が逆転して友人の食事を受け取るための適切な器となったように、スクリーンによって打撃を受けて反射された光が、第一の制約以前に受け取りの器として役立っていた第四段階の代わりとなる新しい受け取りの器となったと想像できます。

ただし、これはABYAのケドゥシャのパルツフィムにおいてのみ確立され、殻のパルツフィムやこの世界では、第四段階自体が受け取るための器と見なされます。そのため、第四段階の形状の不一致が上の光と分離させます。このため、殻は「邪悪」で「死んだもの」とされ、項目13に記されているように、彼らの内部にある受け取ろうとする意志によって「命の命」との分離が生じるのです。