10人グループの講座 - レッスン2:「スピリチュアルな道のための燃料はどこで手に入るのか?」

10人グループの講座 - レッスン2:「スピリチュアルな道のための燃料はどこで手に入るのか?」

目標の偉大さと重要性について

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10人グループの講座 レッスン2

テーマ:スピリチュアルな道のための燃料はどこで手に入るのか?

道中での目的の偉大さと重要性について

原典からの抜粋


1.1984年の記事第1番「社会の目的 その2」(ラバシュ)

人は「自己愛」と呼ばれるクリ(器)で創造されているため、行動しても自己に利益がないと思うと、ほんのわずかな動作すら起こす燃料を持っていません。自己愛を無化することなしに、クリエーター(創造主)とのデヴェクート(内的交わり)、すなわち形態の同等性を獲得することは不可能です。

形態の同等性というのは、私たちの性質に反しています。そのため、私たちに必要なのは、「邪悪」と呼ばれる受け取りの意志を無化するよう皆が取り組める社会、そのための大きな力を持つ社会です。なぜなら、邪悪さは人が創造された目的に到達することを阻むからです。


2. 記事第24番「私たちに本当に必要なこと」(ラバシュ)より

クリエーター(創造主)への務めは、私たちに最も必要なことであるのに、私たちにはそのための燃料が不足しています。その原因は、目標の重要性が欠如していることにあります。つまり、私たちはクリエーターへの奉仕にどれだけの価値があるかを知らず、誰に向かって授与しているのかをわかっていないのです。さらに、クリエーターの偉大さに対する認識も不足しており、王に仕えるという特権を持っていることがどれほど幸せなことなのかを理解できていません。なぜなら、私たちにはその偉大さを理解する術(すべ)がないからです。
『ゾハール』の言葉を借りれば、これは「塵の中のシェヒナ(神性)」と言われます。つまり、クリエーターへの奉仕が塵のごとく価値のないものになっているということです。その状態では、当然ながらクリエーターに務めるための燃料がありません。なぜなら、喜びなしには務めに取り組むための力は生まれないからです。


3.1984年の記事第4番「各自、互いに友を助けよ」(ラバシュ)

私たちは、どうしたら友を助けられるのかを理解しなければなりません。これができるのは、富める者と貧しき者、賢き者と愚かなる者、弱き者と強き者といった違いがあるときに限られているのでしょうか? しかし、皆が賢かったり、富があったり、強かったりする場合は、どうやって助け合うのでしょうか?

気づくのは、皆に共通のものが一つあることです。それは、人の気持ちです。「心の中の気がかりは、他者に打ち明けよ」と言われています。これは、気持ちを高めるには、富も学識も役立たずだからです。

友が落ち込んでいるのに気づき、助けることができるのは、富や学識ではなく人です。「人は自らを牢獄から救い出せない」と書かれおり、友こそが人の気持ちを高めることができます。

これは、友が自分を落ち込んだ状態から生き生きとした状態へと引き上げてくれるという意味です。そうして、人は生きる力と自信を取り戻し、再び豊かさを感じるようになります。そして、すぐにでも目的が達成できるかのように動き始めるのです。

結局のところ、皆が友に気を配り、どうすれば友を助け、友の気持ちが高められるかを考えなければならない、ということです。なぜなら、人の気持ちについては、誰もが友の中に、友が愛を必要とする部分を見つけ、それを満たしてあげることができるからです。


4. ラバシュからの書簡 第24番(ラバシュ)より

あなたは常に見張りを立て続けなければなりません。昼を感じているときも、夜を感じているときも、一日中、一晩中です。
私たちはクリエーター(創造主)にこう言います――「昼はあなたのもの、そして夜もまたあなたのものです」と。つまり、「夜」もその暗闇も、クリエーターから与えられるものであり、それは人間のためになるものなのです。また、こうも書かれています――「昼は昼に語り継ぎ、夜は夜に知識を伝える」と。
したがって、あなたは友人たちの心が炎を自ら立ち上げるまで、その心を目覚めさせなければなりません。(中略)そうすることで、クリエーターの愛を私たちの上に呼び起こすという報酬を受けることになります。


5.1988年の記事 第30番「友人の集まりで求めるべきもの」(ラバシュ)

一人ひとりが、社会(グループ)に命の息吹と希望に満ちた心をもたらし、エネルギーを吹き込もうと努めるべきです。そうすることで、友の誰もが自分にこう言えるようになります――「今こそ、私はクリエーター(創造主)への務めをまっさらな状態から始められる」と。つまり、社会に来る前は、クリエーターへの務めが進んでいないことに失望していたのが、今は社会によって「命」と「希望」が満たされたということです。
このようにして、人は社会を通じて「自信」と「力」を得ました。なぜなら、今は「完全な状態に到達できる」と感じているからです。それ以前は、「乗り越えられない高い山に直面している」と感じていたかもしれません。それを本当に手ごわい障害だと思っていたのです。しかし今では、それが「取るに足らないもの」のように感じられています。それはすべて、社会の力から得たものです。なぜなら、一人ひとりが命の息吹と希望に満ちた心を社会の中にもたらそうと努力していたからです。


6.1986年の記事 第17番「集まりにおける議題 その2」(ラバシュ)

私たちが喜びや満足を得て、しかもそれを享受することが許されるだけでなく、むしろ果たすべきこととするには、「授与の行為を楽しむこと」に基づくしかありません。したがって、私たちが取り組むべきことは、「スピリチュアリティの価値を高めること」一点です。私たちがスピリチュアルな価値を認識するというのは、自分が誰に向かい、誰と話し、誰の戒めを守り、誰の法を学んでいるのかを、しっかりと心に留めるということです。つまり、トーラーの与え手の価値をどう高めるかについての助言を求めるということです。
そして、人が自力で上層からの啓示の光を受け取るに至らない段階では、同じ目的を持って努力している仲間を探すべきです。すなわち、どんな形であれ、クリエーターと触れ合うことの価値を高めようとしている人たちです。多くの人がこの目的を支持していれば、誰もが友から助けを得ることができるようになります。


7.1988年の記事第30番「友の集会で何を見るべきか」(ラバシュ) (編集中)

友人たちは、主にクリエーターの偉大さについて語り合うべきです。なぜなら、人が自分の中でクリエーターの偉大さをどれほど評価しているかによって、その程度に応じて、人は自然に自分自身をクリエーターの前で無にしていくからです。というのも、私たちは自然の中で、「小さな者は大きな者の前では自然と自分を低くする」という現象を見ることができます。これは霊的なことに限らず、世俗的な人々の間でも見られる現象です。

つまり、クリエーターがこのように自然の法則を定められた、ということなのです。ですから、友人たちがクリエーターの偉大さについて語り合うことによって、それによってクリエーターの前で自分を無にしたいという欲求や願望が呼び起こされます。なぜなら、そのようにして、クリエーターとつながりたいという憧れや思いが、心の中で育まれていくからです。


8. 「最後の世代の著作」(バール・ハスラム)

あらゆる人の中には、たとえ世俗的なものであっても、クリエーターとの統合を求める未知の火花が存在します。それが時々目覚めるとき、それは人を目覚めさせ、クリエーターを知るか、否定させます。それは同じことなのです…

誰かがその人のこの欲求の満足を生み出すなら、その人はすべてに同意するでしょう。それに加えて、魂の不滅、来世での報酬、個人の栄光、国家の栄光、つまり国家の誇りとなることを付け加えなければなりません。