日本語によるローカル・ミーティング ”バール・ハスラムの「行動の時」を学ぶ”
本物のカバラのテキストから学ぶ体験。 記事:ラビ・イェフダ・レイブ・ハレヴィ・アシュラグ(バール・ハスラム)「行動の時」。
ラヴ・ミハイル・ライトマン博士のレッスンからのビデオクリップを交えて、記事の重要なポイントや追加の点を確認する。
普及
「行動の時」という記事の中心的なテーマの一つは「普及」であり、ラヴ・ミハイル・ライトマン博士は彼のレッスンの中でこの点を強調しています。カバラの知恵を広く伝えていく必要があるだけでなく、そのメッセージは私たちの間のつながりを通して伝えられるべきだとされています。
このことは、バール・ハスラム自身の例、またラバシュやラヴ・ライトマンにも見ることができます。
「行動の時」
長きにわたり、私は良心の呵責に苛まれてきました。それは、本物のカバラの知恵について、その基礎となる著作を編み、それを広く人々に伝える責務を自らに感じていたからです。それにより、人々が高次の世界に関する事柄の真の意味を捉え、正しく理解できるようにしたいと願ってきました。
印刷術が世に現れる以前のイスラエルでは、カバラの知恵に関する偽書(ぎしょ)は存在しませんでした。なぜなら、自分の言葉に責任の持てない著述家はほとんどいなかったからです。そこには、そのような人物が名を成すことはないという単純明白な理由がありました。
仮に、あつかましくもそのような書を著したところで、通常、写本を制作する写字生(しゃじせい)には、多大な報酬が必要でした。そのため、執筆の労力に対する採算が取れず、誰も写本を作ろうとしなかったのです。結果として、その類(たぐい)の書は最初から人々の目に触れる運命になかったのです。
当時の識者たちも、その類の書物を著すことに興味を示しませんでした。なぜなら、一般大衆がそのような知識を必要としていなかったからです。むしろ、「神の栄光とは、事を隠すことにある」という言葉から、知識は秘密の小部屋の奥深くに隠すべきものとされていました。トーラーの本質やクリエーター(創造主)への務めに関する事柄は、それを必要としない者やふさわしくない者から隠すよう命じられていました。そして、それを軽々しく公にすることは、その価値を損なう行為として禁じられていました。なぜなら、それこそが私たちに求められる「神の栄光」に他ならないからです。
しかし、印刷術の普及により、著者は写字生を必要としなくなり、書物の価格が下がると、自らの言葉に責任の持たない著述家たちが、欲望の赴くままに執筆を始めました。お金や名声のために出版する道が開かれたのです。その著述家たちは、自らの言葉が及ぼす影響を顧みることはなく、結果に目を向けることもありませんでした。
それ以降、前述のような類の書物が急増しました。しかも、その著者たちは、自らが扱う分野の知識について、しかるべき師から口伝を受けたわけではなく、古典的な書物からも学んでいませんでした。ただ、自分の空っぽな思考から勝手な理論をでっちあげ、高次の世界に結びつけることで、イスラエルの精神の本質やその尊き宝について語っているかのように装ったのです。その無知な者たちは慎重さに欠け、それを知る術もなく、混乱を招く誤った見解を世代に植え付けました。そして、その浅はかな欲望によって、自らが罪を犯しただけでなく、次世代をも誤りに導いてしまったのです。
近頃では、その者たちが発する悪臭はますますひどくなっています。ついには、カバラの知恵にまで手を伸ばし、その聖なる教えに爪を立てはじめたからです。この知恵は、いまに至るまで「千の鍵」で封じられており、一語たりとも真の意味を正確に理解できる者はいません。ましてや、語と語の間にあるスピリチュアルな結びつきを把握することなど到底不可能です。
なぜなら、いままでに著された本物のカバラの書物には、かすかなヒントしか記されておらず、それですら賢明な弟子が資格あるカバリストの賢者から口伝されて、ようやく理解できる程度のものだからです。ところがいまや、「そこにキポズが巣を作り、産み、孵し、その影に抱いた※」ように、多くの異端が群がり、この時代にあっては、徒党を組んで、見る者に吐き気を催させるような代物に「料理」してしまいました。
※ イザヤ書34:15の比喩に基づく。異端者たちが、神聖な知恵の中に住みつき、自らの都合で繁殖し、それを自分の領分のように扱っている様子を表す。
中には、あたかも時代の指導者であるかのように振る舞い、自らを古(いにしえ)の書物の選別者であるかのように見せ、「この書物を学ぶべきだ」「この書物には誤りが多い」と語る者すらいます。これは、侮蔑(ぶべつ)と怒りを招く態度です。なぜなら、そうした判断は代々の偉大な指導者たちの中でも、ほんの一握りの者にしか許されていなかったにもかかわらず、いまでは無知な者たちが軽々しくそれを扱い、翻弄しているからです。
その結果、この類の事柄に関する大衆の理解は、著しく歪められてしまいました。加えて、社会全体に軽薄な風潮が蔓延し、誰もが「自分には一瞥するだけで、こうした高次の事柄を理解し批判する資格がある」と思い込むようになってしまいました。そして、まるで空を飛ぶ天使のごとく、イスラエルの精神とスピリチュアルの本質――その高度な知恵の海――を一瞬で飛び越え、自分本位な解釈で勝手な結論を導き出してしまうのです。
これこそが、私が自らの限界を超えて行動を起こすに至った理由です。私は決意しました。「今こそクリエーターのために行動する時である」と。今なお救うことのできるものを、何としても救うために。そこで私は、この主題に関わる真理の一端を明かし、それを人々の間に広めることを、自らの使命として引き受けたのです。
動画1
ワークショップの質問(ミーティングの流れに基づいて選ばれたもの)
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カバラの知恵の学ぶ準備として、どのようなことが役に立ちますか?
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カバラの知恵を資格ある教師から学ぶことについて、あなたはどう感じますか?
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カバラの真正な情報源から学ぶことには、あなたにとってどんな意義がありますか?
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「行動の時」を読む時、どのような感情が呼び起こされますか?
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「行動の時」を読んだ後、カバラの知恵の海に飛び込むために何があなたを助けてくれそうですか?
動画2