記事 / ゾハールを読むということ

ゾハールを読むということ

「はじめに、ラビ・シモンは『花の蕾が地に現れ、摘果(てきか)の時が来ると、山鳩の声が我が地に聞こえる』。花の蕾、それは創造のなせる業である」と語り出した。

「ゾハールの書への前書き」の「花の蕾」(『皆のためのゾハール』第一巻)で、ラシビはこう述べています。美しく魅惑的で、そこはかとない理解をもたらすゾハールの書とその伝説の言語。それが物語と寓話になり汝へ語りかける。しかし、それだけなのだろうか。

『ゾハールの書』は、スピリチュアリティと上層の世界を切望する欲求である心の点を、クリエーターの発見という目的に到達する魂へ成長させるために書かれ、教えられています。

これは、知的に理解するのではなく、感情で理解することを意味しています。これが「心が理解するだろう」と書かれている理由です。心、すなわち受け取りの意志は、経験を経ることで変化に気づき始め、その変化によって理解し始めます。

私たちは何を理解するのでしょうか? 善と悪のはざまで、知性はその変化を理解するよう助けてくれます。しかし、なにより重要なのは、理解の助けとなる改革の光を切望することです。 

では、これが『ゾハールの書』とどう関係しているのでしょうか?

バール・ハスラムは、『ゾハールの書』にある特別な質について、「カバラの教えとその真髄」という記事で次のように説明しています。「伝説の言語は、所望される意味に対し、完全に適合する寓話を通して語られるため理解がしやすい。表面的な考察であれば、聖書の言語よりも理解が容易である。しかし、完全に理解するには、かなり難解な言語である。それは、根と枝の連なりにおいて語られるという制約がなく、寓話と並々ならぬ機知において語られるからである。しかし、そこで語られる段階の本質については、聖書と律法の言語で説明できない難解で風変わりな概念があり、『ゾハールの書』はそれを読み解くことに富んでいる。」

真のカバラの原典に内在する改革の光とともに『ゾハールの書』を読みたい人に向け、カバリストたちがその主要条件を4つ確立しました。

 
  • 1.『ゾハールの書』を知性で理解しようとしないでください。『ゾハールの書』は、知識のためである他の学びとは対照的に、欲求と情感をもって心で読むものです。この学習には、内的な変化を引き起こし、隠された現実を知覚する準備を整えるという意図があります。それが功を奏するかどうかは、隠された現実を発見し感じたいと切望する度合いによって決まります。事前の知識や特別な能力は必要なく、必要なのは私たちの目と心を開くための真の欲求を育むことだけです。
  • 2.『ゾハールの書』は物質世界についてではなく、私たちが経ていく内的状態について語っています。重要なのは、言葉や描写に親しみがあったとしても、この書で触れられていることはどれも、私たちが見ているこの世についてではなく、内的なことについてであると認識することです。この書を読むにあたり、ここに書かれていることは、私たちの欲求に起こる内的作用であると解釈すべきです。この文章は、内に秘めた性質と切望へ導く架け橋なのです。
  • 3.『ゾハールの書』には、私たちを変える改革の光が含まれています。この書を読む際に、この光を通して私たちがいる利己的な世界から、利他的なスピリチュアルな世界へ変化することを切望していれば、その光が私たちの中にある自然な成長に作用します。
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一つの心をもった一人の人間として、10人のカバリストが『ゾハールの書』を著(あらわ)しました。彼らは、自分たちが到達したまたとないつながりと一体感によって、この世を通り抜け、この書が語る永遠の存在の段階へ上昇しました。彼らの足跡(そくせき)を辿り、同じ段階へ到達するよう望むならば、彼らが築いたつながりを自分たちの間に築く必要があります。『ゾハールの書』は相互愛の状態から著されたため、その状態になることこそが、この書を読む方法であるべきです。

さて、いまの学びから得た意図をもって読んでみましょう。

1)ラビ・ヒツキヤはこう始めた。「茨(いばら)の中の薔薇のように」と書かれているが、薔薇とは何か? それはイスラエルの集まり、マルフットである。薔薇があり、薔薇がある。茨の薔薇に赤があり白があるように、イスラエルの集まりにも裁きがあり慈悲がある。薔薇に13枚の花びらがあるように、イスラエルの集まりにも四方から取り囲む13の慈悲の特質がある。

ラシビ、ゾハールの書への前書きより「薔薇」(『皆のためのゾハール』第一巻)

この『ゾハールの書』からの一節について、マイケル・ライトマン先生は次のように説明しています。薔薇には一つにまとまった13枚の花びらがあり、さらに棘(とげ)もあります。薔薇は、私たちとクリエーターとの正しいつながりの象徴で、その中に私たちを一つにする花びらと棘が含まれています。私たちがクリエーターの方へ向かうなら、私たちは薔薇と呼ばれます。これが、『ゾハールの書』が「薔薇」の物語から始まる理由であり、クリエーターが私たちの中にまとわれ、明かされた状態に到達するために、どうすれば正しくつながれるかを教えてくれています。